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人材の教育・育成

 平和を構築していくのは人です。ピースビルダーズは、平和をつくる人々(peacebuilders)の育成に力を入れています。

【2005年度の活動内容】


映画「ホテル・ルワンダ」シンポジウム開催
 映画『ホテル・ルワンダ』の主人公のモデルとなった実在の人物を招聘し、チャリティ試写会兼シンポジウム「今、アフリカで何がおこっているかー『ホテル・ルワンダ』のメッセージ」を開催した。(於・東京有楽町ホール。2006年1月6日。参加者数580名。)

映画『ホテル・ルワンダ』主人公 ポール・ルセサバギナ氏初来日

今、アフリカで何がおこっているか
『ホテル・ルワンダ』のメッセージ
シンポジウム・チャリティ試写会
What is going on in Africa? - A message of "Hotel Rwand"
2006年1月6日開催 於・有楽町朝日ホール
(参加者数 580名)

シンポジウム概要

1.駐日ルワンダ大使コメント

2.ポール・ルセサバギナ氏講演
ポール・ルセサバギナ 1994年4月のことだった。

 フツもツチもお互いに憎しみあっているわけではない。もし、憎しみあっていたとすればそれは指導者のせいだと言える。  私には妻と子の6人の家族がいたがあの日、私の近所の人たち26人が、家に逃げ込んできた。3日目に、外から門のところによじ登ってこようとした男たちがいた。私を「救出しに来た」と言うその男たちに、私は「私には32人の家族がいる」と答えた。
 ホテルのミニバスと隣人の車に全員乗って、家からミルコリン・ホテルまでおよそ12キロ走った。周りには頭がない死体、腹を割られていた死体もあった。男たちは車を止め、銃を私に渡して、妻、子、隣人を撃てと言った。5分間、何も答えられなかったが、金を渡すことを提案し、難を逃れた。そのころには国全体が狂気の世界だった。夫が妻を殺し、妻が夫や自分の子を殺し、教会では神父が信者を殺した。死体を積み上げ、その上でビールを飲む人々もいた。
 ミルコリン・ホテルに着いたのは4月16日。私はその時、ミルコリンの支配人ではなく、同じ航空会社に属している別のホテルの総支配人をしていた。このため、スタッフがいうことを聞いてくれないという問題が発生した。ホテルには、すでに400人の避難民がおり、以後76日間、食べ物、水、電気が全く使えない日など幾度の困難にあった。  ある日、ミルコリンの難民と、国のスタジアムに逃れていた難民を交換することになった。この様子は映画にも出てきたが、この人たちは待ち伏せをされ、襲われた。(「交換」の一人として行き、帰ってきた)私の妻は映画とは違い、動けずにトラックの後ろの方で、血を流していた。その後は何週間もベッドに寝たきりになった。
 私達は、全く希望もないままホテルに隔離されていた。一つ確実なことは「死あるのみ」。

 ホテルから脱出。

 ようやく6月18日に私達はキャンプへ避難できた。しかしここでも多くの若い男たちが、「反政府ゲリラで戦おう」と誘われて出ていき、殺された。私の年代の人たちも自警団を作ろうと呼び掛けられて行った先で殺された。反政府軍も殺し、民兵も人を殺した。  7月12日に、私と妻と友人とで、私の実家があり、妻の出身地でもある南部へ逃れた。国中、どこへ行っても死の匂い。見渡しても生きている人間はどこにも見あたらない。ただ、死体を奪い合ってほえる犬の声が響いていた。実家では私の妹も(兄の)妻も殺され、妻の母は嫁と孫6人と殺されていた。その光景を見て私達は赤ん坊のように泣き出した。
 その後、幸運にも96年9月に難民としてベルギーに逃れることができた。そのころ、コンゴ内紛が発生した。ブルンジや北部ウガンダでも多くの人が犠牲になっていた。  現在も続く悲劇  昨年、私はダルフールに行き、94年のルワンダと同じ事が起こっているのを見た。本当につらかったのはその帰りに飛行機でニュースを見たとき。世界のリーダーたちがユダヤ人のホロコースト(終了)60周年でアウシュビッツに集まり、「ネバー・アゲイン」と繰り返していた。しかし、私は今起こっているジェノサイドの現場から帰ってきたところだったのだ。みなさん、これを契機に認識を改めてください。私のメッセージは、私達の「メッセージ」を訴えるメッセンジャーになっていただきたい、ということだ。

3.パネル・ディスカッション
パネル・ディスカッション アフリカで、いろいろなことが起こっているとすれば、それは一体、何でしょう?

 松本: 部族、民族の問題はこれから100年間、アフリカで最大の問題となるだろう。ツチとフツ、この人たち、一つの国と言う枠の中に閉じ込められ、指導者たちに対立を利用されているといえる。権力者は「我々は苦しいのは私のせいではない。あいつらのせいだ」と失政や腐敗が起きるたび自分の責任を回避する。唯一、やれることは「部族」の価値観よりも、上の価値観があることを認識させること。アフリカでは、ナショナリズムの形成の努力がどの国よりも全く行われていなかった。あるのは「我々とあいつら」の対立だ。 12年たって今、ルワンダの状況は?

 武内: 「ルワンダに行った」というと「大丈夫?」ときかれるが、外国人にとって非常に安全。2003年に今のカガメ大統領が95%以上の得票で選出されたが、現政権が強権化しているという指摘がよくされる。ツチ、つまりRPFが主導の構造は今も変わらない。内戦後、大統領に、フツをすえたのは、民族和解の象徴だ。しかし、RPF側が内戦時に犯した犯罪に言及するのはタブーで、RPFも戦争犯罪を犯したが、それには今、全く触れられない。国民和解を考える上では大きな壁だ。

 ルセサバギナ: 民族間で深刻な問題はたくさんある。ツチは集団墓地から親族の遺体を回収し、名誉ある形で再び埋葬できるが、フツは許されていない。ルワンダには10万人の囚人がおり、200の裁判所があるが、11年後の今、判決が出ているのは6000人だけ。ルワンダの司法制度は機能していない。国際刑事法廷には何十億ものお金がつぎこまれたが昨年6月、同法廷の検察官は「これまで刑が確定したのは25人」と言っていた。このことに何か発言すると、ジェノサイドのイデオロギーに染まった人間だと言われてしまう。ガチャチャも、参加者は読み書きも出来ない人たちで、法廷ではない。このような制度が大虐殺を犯した人々を裁けるか?私は被害者に十分なことができない間違ったやり方だと思っている。しかるべき法の裁きが行われないといけない。私の考えでは、ルワンダに必要なものは真の対話だ。二つの民族、グループの対話が必要だ。ツチが植民地支配の立場に立って支配してきたが、革命でフツが支配となり、また、ツチが支配層になっている。ルワンダ、アフリカにとって唯一の希望はアルーシャ和平協定に基づいてやっていくことだ。 日本に住む我々に何ができるのでしょう?

 松本: ODAは一つの役割だが、ルワンダ政府に今の状況をコントロールするのは無理。その下で苦しんでいる人に直接かかわっていく方法で、日本のNGOがいろいろ入っている。国がまだまとまっていない状況なら UNHCR、ユニセフ、UNDPなど直接、住民にかかわるところに支援するのが良い。

 武内: こういう映画を見て私には何が出来るだろう、と思うのは自然なことだが、まずアフリカを知るということが重要なこと。アフリカのネガティブなイメージがたくさん入ってくるが、そこで生きる人々の様子を知ることが一番重要だ。
 ルセサバギナ: 日本政府が多くの援助をしてくれているが金は独裁者を守るための武器などに使われてしまう。だからNGOなどを通じて、人々を援助するのがいい。アフリカは国民に対する支援、独裁者と戦うための支援を必要としている。過去、多くの人々が反アパルトヘイトということでデモにたち、アパルトヘイトはなくなった。私が皆さんに伝えたいのは、この「ホテル・ルワンダ」を通じて、そうしたように変えていってほしい、ということ。あなた方が本当に望めば、一人ひとりが時代を変えていける。  尚、このシンポジウムの発言の全文を、こちらからダウンロードできます。(PDFファイル約50KB)

 紛争後地域の人々を招聘して行う平和構築研修事業において用いるコンテンツ一式を、JICAと共に研究し、開発した。
(日・英語 各約300ページ + 付属教材映像約20分)

コンテンツの目次

・モジュールT 平和構築概論
・モジュールU 紛争後社会における教育
・モジュールV 紛争後の和解とトラウマ・ケア
・モジュールW 日本及び広島の戦後復興

 付録教材 映像 "Postwar Reconstruction and Peacebuilders in Hiroshima"
(各モジュールをクリックすると、該当モジュールの概要にとびます)
 尚、コンテンツは、モジュールVを松永知恵子、モジュールUとWを大川富美と藤千慧、そして全体の資料収集と整理を中山敬太が携わって実施した。また、映像制作は広島市立大学芸術学部の安原英之氏、翻訳とナレーションを小田正美氏の協力を得て、行った。

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